プロフィール

ごあいさつ

初めまして。こんにちは。
MAICO(マイコ)と申します!
わたしのプロフィールをご紹介させていただきたいと思います。

幼少期から中学時代:人との付き合い方がわからず寂しい思いを味わう

神奈川県出身。ごく平凡な家庭の次女として誕生。
小さい頃はおばあちゃん子でいつも祖母にべったり。習い事はピアノ、英会話とスイミングスクールに通っていて、とても活発な女の子でした。

中学校に進学。正直中学時代はあまり楽しかった記憶がありません。
なぜなら、友人の輪に入れない時期があったからです。もともとは臆病で人見知りな性格のわたしは、周りの友人が部活動に入部する中、運動部についていける自信がなかったので、帰宅部を選択してしまいました。周りの友人は部活動。わたしは一人家へ帰宅。運動部は同じ部活の子と仲良くなる傾向があったため、もちろん話題にも入れず、自然と一人でいる時間が長くなりました。

特にいじめられていたという訳ではないですが、ちょっと疎外感。寂しさを感じる中学時代でした。

高校~大学時代:払拭すべく楽しい学生時代を過ごす

市内の学校へは進学せず、中学から一緒の子がいないような高校へ進学しました。
なぜなら前のわたしを知っている人はいない場所で新たに友人を作りたいという思いからでした。結論から言うと、今でも交友関係のある友人たちができました。みんな大切な友人です。

高校時代は中学時代での青春を取り戻すべく、部活動やアルバイトも始め、学校行事も積極的に参加し、それなりに楽しみました。部活動とアルバイト、学校行事や友人たちとの遊びに夢中になっていたため、勉強は疎かになった時期もありましたね。笑

ですが、周りの友人の影響もあり、2年生の終わり頃から予備校へも通い始め、第一志望の大学へ入学したく勉強に励んだ1年でした。

ですが、見事に第一志望の大学に落ち、、(笑)滑り止めで受かった大学へ。
就職率がいいのと学校のカリキュラムが実践的なものが多いということで、安易に選んだ滑り止めの大学でした。ここへ行くと全く思っていなかったので、かなり落胆した覚えがあります。両親にも受験のときは迷惑かけました(笑)金銭面とか。。

とにかく楽しい大学生活を送りたくてインカレサークルに入会したり、毎週末渋谷や六本木のクラブに遊びに行ったり、地元のキャバクラでアルバイトしたりと、まあ派手に遊んでいた時期でした(笑)
寝ないで学校に行くなんてしょっちゅうで、よく単位落とさず卒業できたなと今でも思います。ww

キャバクラのアルバイトで稼いだお金で渋谷の109へ繰り出し洋服を買う&友人と海外旅行へ行く。の繰り返し。まあアルバイト代なんて貯まりませんでした。この当時は今を楽しむ!!という勢いでパワーが溢れていましたね!

大学時代の交友関係はというと、唯一の友人が1人。あとはほんと上辺っていう感じでした。当時の自分では気づいていなかったようですが、人間関係は必要以上な人とは付き合わないというスタンスだったようです。

そんなこんなで、大学は単位も落とさず無事卒業。
大学時代から服が好きだったので、洋服が作りたい!0からモノづくりができる仕事がしてみたい!と思い、大手アパレルメーカーに就職しました。

社会人:現実そんなに甘くない

就職したアパレルメーカーは全国に店舗を構え、企画~製造~販売まで一貫して自社で行っているという大手メーカーでした。もちろん最初は現場から。販売員からのスタートでした。

わたしの理想の働き方は都内の大型店舗でバリバリ服を売る販売員をイメージしていました。それにも関わらず、配属先は郊外の店舗。まずそこで夢を打ち砕かれました。そんなこと言ってもまだ入社したての社会人1年目。なんとかして同期の中でも注目を浴びたい!!というやる気に満ち溢れていました。

12ヶ月連続で個人売上を達成しましたが、注目されるのは大型店舗に配属された同期。売上の金額が敵いません。どんなに頑張ってもこの会社では認められないんだと感じ、そこからやる気がなくなってしまいました。

当時のお給料は手取りで16〜17万円程度。売上を上げても上げなくてもお給料は変わらないし、なんとなく働いても大丈夫なんだという思考に次第に変わっていきました。

もともとファッションが好きだったので入ったお給料は全てお洋服に。一人暮らしも始めることもできず、このまま20代後半になるのは心配だなと思う反面、今が楽しければいいのかな?と思う浅い考えの自分もいました。

将来のことは特に何も考えず、今が楽しければそれでいい!という考えになっていました。

ですが社会人3年目になったとき、ちょうど25歳くらいのときに、このままこの会社で働いてたら上司みたいな生活を送るのか〜と思ったときに、もともとは”自分で仕事がしたい”という思いがあったのと、何も頑張らないまま年だけ取っていくのはまずい!と思い、行動に移すことに、会社を辞める決意をしました。

25歳~29歳:スタートアップの経験を果たす

そんな私の声を聞きつけ、知人からのご縁で創業者とのご縁をいただき、人材会社の立ち上げに関わらせてもらいました。

創業者の近くで経営の勉強できること、頑張りが認められる結果重視の働き方ができることが、わたしにとってはチャンスとチャレンジで、とにかくがむしゃらに仕事をしました。
もちろん不安もありましたが、当時のわたしはパワーに満ち溢れていたのか楽しみ、ワクワクといった気持ちの方がまさっていました。

仕事に明け暮れる毎日。睡眠時間も削りプライベートの時間もほぼ0でした。
いつしか求職者のために仕事をするのではなく、自分の売上や創業者に認められたいという思いに目的がズレていき、なぜ働いているのかわからなくなり、また毎日のアポイントや交際費などの経費がかさんでいき、売上のノルマも達成できなくなり、達成できないことで、お給料も止められるという経験もしました。

急にお給料が止めらるという事態と今まで同様の生活を送る癖がついてしまっていたのか、支出が抑えられなかったため、当時はカードの限度額もギリギリになり、首が回らなくなってしまいました。
生活を立て直さないといけなかったのとそもそもなぜ働いているのかという目的も失い、将来どうしたらいいか迷走してしまい会社辞めることを決意。

その当時のわたしの顔が死んでいたのか、知人から「自分の人生生きなよ」と言われ、なぜか肩の荷が落ち、新たな自分で歩んでいきたいという気持ちが再び蘇ってきました。

現在:フリーランスになりました

そもそも転職をした動機は「自分で仕事がしたい」「自分にしかできない仕事を求めている人のためにしたい」という気持ちが強かったのを再認識し、フリーになることを決意しました。

今までは対人のスキルのみしか磨いてこなかったので、今はITの時代ですし、webを使えるようになろうとスキル習得に励みました。

会社を辞めフリーランスになるまでは約5ヶ月くらいあったのですが、そこでwebの勉強したり、フリーランスとして活動していくにはどうしたらいいのかという情報収集などの時間に充ててました。

その結果、今では業務委託で上場企業の仕事を直接契約で獲得することができ働き方が以前とはガラッと変わりました。

前職では毎日仕事と売上に追われ、時間とお金もないというような状況でしたが、仕事に対しての誠実さとそれに伴うスキルがあれば、フリーランスとしての仕事ができるんだということがわかり、それを証明することができました。
自分の力で仕事を獲得できたことはわたしにとって大きな一歩でした。

 

ですが、もちろんそれは一人で手にしたものではありません。
今まで人に弱いところを見せるのはカッコ悪いことだと思い、できるように見せて強がっていましたが、どうしようもなくなり、一度弱音を吐いてみると、周りに助けてくれる人がたくさんいました。
今のわたしがあるのは周りの人が手を差し伸べてくれたおかげです。本当にありがたく感謝しています。

知人に「自分の将来よく考えて、自分の人生生きなよ」といってくれたことで目を覚ますことができました。今はわたしの好きな言葉が「自分の人生を生きる」です。

未来:会社設立 人や社会の役にたつ仕事がしていきたい

フリーランスとして活動してきて半年ほどが経過しました。前の会社を辞めてから周りにいる人が変わり、自分が今後どんな生き方をしていきたいか明確になった気がします。

人の役に立てたり、価値を提供できたり、社会貢献ができてこそ、それが仕事と思うようになりました。

わたしも人の役に立て、社会貢献ができる人間へなりたいと強く思うようになりました。まずそのためには自分自身のスキルを磨いていくこと、価値ある情報をみなさんに発信していくことから始めようと思い、このブログを立ち上げました。

わたし自身がどのようにフリーランスになったか

また、フリーランスのときにしてきた活動や(←今現在)

これから目標としている会社設立や売上を安定させるための基盤作り

などをこのブログで発信していこうと思っています!

みなさまのお役に立てれるよう頑張りますので、読んでいただけると嬉しいです(^^)今後ともよろしくお願いいたします。